第四回 キャンバスに穴?
今回紹介する作家は・・・
【ルーチョ・フォンタナ】
フォンタナは20世期のイタリアの美術家・絵画家・彫刻家です。
前衛芸術運動に様々な影響を与えたとても重要な作家として知られています。
彼の創る作品は世間一般的に絵画と呼ばれる作品とは少し違っています。
それは一見すると、画家としてはタブーとされる試みだったかもしれないし、
今までの絵画作品のイメージを大きく覆すものでした。
その作品がこちら→
「空間概念・期待/Concetto spaziale, Attese」
1965年 油彩・キャンバス 72×60cm
フォンタナはこのシリーズの作品に「attesa/attese」という題名を付けました。
意味はイタリア語で「期待」です。この題名には作品との明確な結びつきがあります。
キャンバスに入っている切れ目が単数の場合、「attesa」と付け、切れ目が複数の場合
は「attese」と付けました。
なぜ期待なのか。それはフォンタナが「絵画の閉鎖された空間を超えて無限に広がるように」と込めた期待なのです。
フォンタナは何世紀にも渡って行われてきた、壁に付けられた窓を眺めるような絵画の鑑賞方法を一掃したいという願望からこの「空間概念」のシリーズを制作したとされています。
絵画でもあるが、彫刻でもある。
この固定されない作品のあり方はある種、哲学的な思考を要求させられます。
皆さんはこの作品を観て何を感じましたか?
ではまた。
第三回 愛の写真集
今回紹介するのは・・・
【荒木経惟】
荒木経惟は1963年の写真集「さっちん」太陽賞を受賞してから
現在も活躍する写真家です。
1963年に荒木は千葉大学の工学部卒業後、電通に入社しました。
そして1971年そこで出会った同僚の青木陽子と結婚します。
その陽子との新婚旅行の記録を収めたのが今回紹介する作品・・・
発行1991/2/25 新潮社
全ての写真が灰白色で統一された古臭さのある表現をしており、
その古臭さがより一層センチメンタルさを引き出しています。
愛し合う二人の旅行・日常生活・陽子との闘病生活、それらの
どのシーンも愛おしくてそれでいて切ない内容になっています。
この本はただの旅行や日常の記録ではなく、愛と愛との会話の記録。
この本に収録されている”ある写真”は世間で物議を醸しました。
その写真は陽子の葬式での一枚なのですが、皆さんならその写真をどの様に観るか気になります。
ここではその写真は載せることはできませんが、調べれば出てきます。
ネットでも良いですが、この記事を読んだ方は是非写真集を
購入して実際に手に取って観てみて下さい。
とても考えさせられる一枚です。
では。
第二回 ”凡庸”という最大の武器を手に入れた男
今回紹介するのは・・・
【マイク・ビドロ】
皆さんは他人には無い自分の”強み”は持っていますか?
誰よりも早く走れるとか、計算が早いとか、絵が上手とか。
彼は現代美術の世界で誰もやったことのない斬新な作風を求めて
考えつく限りのことを試しました。しかし、そのどれもが誰かの二番煎じに過ぎず、
ずっと悩み続けました。
そんな試行錯誤の日々の中で彼は自分が”凡庸な人間”であることを知ります。
そしてまた考えます。”凡庸だからこそできることはないか”と。
そして答えを見つけます。 と、ここで一旦作品紹介に移ります。
紹介する作品は・・・
1984年
キャンバス/アクリル・シルクスクリーン 95.9 x 90.8 cm
皆さん、この作品に見覚えはないですか?
そうです。アンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」です。
ですが、これはウォーホルの作品ではないのです。
そう、これこそ今回私が紹介したいマイク・ビドロの作品なのです。
上の作品には「NOT WARHOL」とタイトルが付けられています。
自分のことを”凡庸”と認めた彼が辿り着いた作風は”他人の作品を完璧に模倣する”ということでした。
この作品の一番の面白さは、
”イメージとしてはウォーホルだが物質としては別物” ということ。
だから作品のタイトルが「NOT WARHOL」なのです。
この作風は世間で物議を醸しました。
「盗作だ」「犯罪だ」などの意見もありましたが、今では
鉄壁のシュミレーショニストとして注目を集めています。
皆さんは彼の作品から何を感じますか?
ではまた。
第一回 ウィーンが生んだ ”絵画の錬金術師”
今回紹介するのは・・・
絵画に興味のある人はほとんどの人が知ってるであろう作家だと思います。
彼は”絵画の錬金術師”と称されるほど、金色の豪華絢爛な”黄金様式”の作品で有名です。 元は写実主義な作風でしたが、後に自らのスタイルを追求し今日に知られている作風になりました。
彼は1862年ウィーンの中流階級の家庭に生まれました。
が、貧困に悩み家賃滞納から何度も引越しを経験したそうです。
その後14歳の時に国からの奨学金でウィーン美術工芸学校にトップの成績で入学し、
早くからその素質を評価され、入学3年目にして挿絵の依頼を受けるなどして
自分の作品で稼ぐことができていたそうです。
その後も様々な活動と作風の遍歴を経て唯一無二の作風を手に入れます。
そして今回紹介するのが・・・
「ピアノを弾くシューベルト」
1899年 油彩・カンヴァス/150×200cm
本来なら、「パラス・アテナ」や「水蛇Ⅰ」などの王道の黄金様式の作品を
紹介するのが話の流れ的にふさわしいと思うのですが、本記事では他の紹介記事
とは少し路線の違った作品紹介をしたいと思っています。
王道の作品を鑑賞するのも良いのですが、あまり皆んなが知らないような作品や王道ではない作品を知ることも、”新しい好き”を発見するきっかけになるのではないかと思っています。なので今回は黄金様式作品とは少し離れた作品です。
作品「ピアノを弾くシューベルト」は1899年に制作されました。
この作品は残念ながら現存はしておらず、第二次世界大戦中の
1945年5月のインメンドルフ城の火災により焼失してしまいました。
あえてここでは作品の解説はしないことにします。
この作品を初めて観るあなたの”センス”や”直感力”が感じた
感覚を大事にして欲しいからです。
このような感じでこれから投稿していこうと思います。
今後とも、よろしくお願いします❗️❗️
”新たな好き”を見つけよう!!
こんにちは!
私は芸術大学で現代美術を学ぶ学生です。
2020年はコロナウイルスの影響でとても大変な一年でしたね。
今までの日常が”非日常”になり、様々な変化に右往左往したと思います。
イレギュラーが続く日々の中でたくさんのことを考えたと思います。
私もその一人で、特に考えたことは・・・
「今の世の中に芸術は必要か否か」
と言うことです。
コロナウイルスが流行してからの暮らしは、とにかく何よりもまずは
”行動自粛”が付き纏い、何もせずに家の中で1日を終えることが少なく
なかったと思います。少し近所を散歩するにしても、人の目を気にしながら、
なるべく他人に合わないようにと、常に何かを気にせざるを得なくて心が休ま
らなかった人も多いと思います。しかし、”芸術”というものはどこにいても
どんな状況にあっても嗜むことができる最高のコンテンツであることに気がつきました。
そこで、今回から芸大生の私が様々な領域の芸術家を紹介し、作品を見て自分の新たな興味のあるものを皆さんに発見してもらいたいと思います!
芸術作品とはただ単に”観て楽しいな”だけでなく、作品から自分が感じたことを自分の様々な
ことに関連づけて、”新たな自分を発見する”ことを手助けしてくれるツールなのです。
ですから、”この作品の意味がわかんない”とか”どうやって鑑賞すればいいかわからない”などの難しい話は置いといて、
自分が観たまま感じたままに作品を楽しめばいいのです。
コロナで世界中が混乱に陥った現在にやはり芸術は必要で、
ある人にとっては”心の拠り所”にだってなります。芸術を通して様々なことを考え、
皆さんの心に少しでも”ゆとり”ができることを願っています。